千葉県干潟土地改良区について

概  要

区 域


千葉県北東部に位置し、旭市、匝瑳市、香取郡東庄町の2市1町にまたがり、東西北の3方は大地に囲まれ南にほぼ扇形状に展開し、総面積3,850haに及ぶ耕地で、俗に干潟八万石と称されている。

沿  革

干潟八万石
干潟八万石

 江戸時代初期(1668年~1673年)、高僧鉄牛禅師の支援を受けて、江戸時代の町人白石治郎右衛門と大工棟梁辻内刑部左衛門が中心に椿の海開拓を進め、干潟八萬石が誕生した。新田開発後の安永7年(1778年)、干潟18ヶ村水利組合を結成しその管理にあたった。しかし本地域の中央を流れる新川に係る排水権をめぐり、高場と低場の対立抗争が繰り返し続けられた。明治23年、水利大紛争のあと、低場6ヶ村による干潟治水会が明治24年(1891年)に結成、その後干潟治水会を解消して水害予防組合設置の動きが明治37年頃から始まる。一方、治水行政としては、「椿新田干潟18ヶ村組合字新川悪水路」の名称を以て、明治22年4月29日付で認可され、事実上水害予防の運営が開始となる。その後、大正10年2月8日付、千葉県告示第47号を以て、県知事より千葉県干潟水害予防組合区域指定を受け、10月15日付、組合規約の許可及び管理者の指定を受けることに至り、名実ともに組織が整い、新川堤防修築、保存、水路の解消、浚渫及び堰枠の設置と維持その他水害防御の事業にあたった。昭和24年6月に土地改良法の制定により、昭和27年4月12日付認可され、干潟水害予防組合が組織変更し、千葉県干潟土地改良区が誕生する。

 昭和29年から昭和後期までの間、団体営並びに県営のほ場整備事業が管内各所で実施され、施工面積も2,100ha以上となった。昭和30年代には、食糧増産体制の強化が図られ、量的拡大と労力の節減等による生産性向上を目指したが、40年代に入ると、米の過剰問題が表面化しこれを機に農政の大幅な修正が行われていった。昭和45年から平成5年にかけ、笹川揚水機場及び幹線用水路等の全面改修や新川用排水機場の新設を行い、農業用用水の安定確保を主眼とした「国営大利根用水農業水利事業」が実施された。翌年の昭和46年から、干潟管内を流れる幹線用水路の改修工事として、「県営かんがい排水事業大利根地区」に着工し、平成12年度に完了を迎えた。昭和50年代半ばには、農業情勢の中で汎用型耕地が求められ、当土地改良区の管内でも時代に応えるべく一般型、大区画型、担い手育成型のほ場整備事業へと移行し、平成8年より広域緊急基盤整備促進事業計画の中で、管内1,800haを9地区に分割し、経営体育成基盤事業による再整備が展開され、農業生産の増大、農業経営の合理化を図っている。


千葉県干潟土地改良区組織機構図